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アッシュ郡()は、アメリカ合衆国ノースカロライナ州の北西隅に位置する郡である。2010年国勢調査での人口は27,281人であり、2000年の24,384人から11.9%増加した〔Quickfacts.census.gov - Ashe County - accessed 2011-12-06.〕。郡庁所在地はジェファーソン町(人口1,611人〔American FactFinder - Jefferson, North Carolina - accessed 2011-12-06.〕)であり、同郡で人口最大の町でもある。 == 歴史 == アッシュ郡となった地域にはチェロキー族、クリーク族、ショーニー族などのインディアンが住んでいたことが明らかになっている。土器の破片や鏃などインディアンの加工品が見つかり、その存在を裏付けている。これら人工物の大半は郡内のオールドフィールズ地域で見つかってきた。 アッシュ郡の地域を最初に探検したヨーロッパ人は、アメリカのモラヴィア教会の首長、オーガスタス・ゴットリーブ・スパンゲンバーグ司祭とその弟子であるティモシー・ホースフィールド、ジョセフ・ミューラー、ヘンリー・アンテス、ヨハン・マーク、ハーマン・ローシュだった。スパンゲンバーグ司祭はアッシュを旅したことについてその日記に記していた。日記はモラヴィア教会が保存してきた。スパンゲンバーグはバージニア植民地からモラヴィア教徒が入植するために10万エーカー (400 km2) の土地を与えられた。この集団の中で唯一アッシュ郡に戻って定着したのがハーマン・ローシュだった。その他初期の開拓者にはデイビッド・ヘルトン、ウィリアム・ウォーリング、ウィリアム・マクレインがおり、有名なダニエル・ブーンがいた。ブーンを除き、これら開拓者は全て1771年に入植した。 アメリカ独立戦争の時、郡内で小さな戦闘が起きた。「ビッググレイズの戦い」と呼ばれる。1780年7月、ロバート・ラブが指揮するアメリカ部隊と、シャーロットへ向かい、チャールズ・コーンウォリス将軍の本隊に合流しようというイギリス側ロイヤリスト150名の部隊との間で戦われた。この戦闘ではアメリカ部隊が勝利した。 1780年代、アッシュ郡は「フランクリン国」に属すると見なされていた。フランクリン国はワシントン、グリーン、サリバンの3郡で構成された。アッシュ郡はワシントン郡の一部と見なされた。フランクリン国はテネシー州の始まりとなった。アッシュ郡が正式にノースカロライナ州に属したのは1785年になってからだった。1799年遅く、広さ977平方マイル (2,530 km2) のアッシュ郡がアメリカ合衆国かつノースカロライナ州の郡であることを公式に宣言した。1800年の国勢調査では、アッシュ郡民の姓がブレビンス、ハート、ベア、スタンパー、ミラー、バーケット、ギャンビル、ボールドウィン、バルーなどで占められており、これが今日に続いている。アッシュ郡の郡名はアメリカ独立戦争時の愛国者であり、上級裁判所判事、1795年から1798年までノースカロライナ州知事を務めたサミュエル・アッシュに因んで名付けられた。1807年から1913年の間に何度も郡の境界が修正された。1849年、アッシュ郡の南西部とコールドウェル郡、ウィルクス郡、ヤンシー郡の一部を合わせて、ワタウガ郡が作られた。10年後の1859年、アッシュ郡の残りの東部がアリゲイニー郡となった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「アッシュ郡 (ノースカロライナ州)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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